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70年代を通じて、アメリカ合衆国の学校でのイジメの理由の1位は「脇の下が臭いこと」で、次が「数学ができること」だった。
なんだか冗談みたいだが、数学ができるせいで自殺しなければならなくなった高校生もいた。
その頃のアメリカでは公立高校みたいなところで数学が出来るのは「せこいやつ」でクールでない、ということだった。
きみの種族の一部には、数学が(大きい声では言わないにしても)レモンメレンゲよりずっと好きだという訳のわからん人間がいる。
当時は、そういう人間は息を殺すようにして、ボストン郊外のケンブリッジという町にあるMITという巨大なキチガイ部落をめざしてベンキョーした。
そこにさえ辿り着けば、フットボールと女の子たちを「やって」しまう以外に才能なんてなにもないバカタレに胸ぐらをつかまれてネットにおしつけられたり、悪罵に我慢できなくなって立ち向かったあげく、校庭の砂をかんで、「クールガイ」たちの嘲笑を聞いたりしなくてもいいと誰かが言っていたからである。

はいってみれば、実際そこは天国で、きみはすっかりコーフンしてしまい、大学に近い橋が「なんひきずり」であるか実地に検証するために、級友をひきずって「ひきずり」の数を橋に刻みつけたり、やたらとモンティパイソンのセリフがはいる土曜の夜のバカ騒ぎに熱中して、テーブルの上にとびのってビーチボーイズのカラオケを熱唱したりした。

あるいは80年代の東京のきみの種族は、そもそも「制服」というものが嫌なのではいった6年制の中学から、やってるんだかやってないんだかいかにも判然としない学校にのらくらと通いながら、物理部無線班の正しい伝統に順って、ハンダゴテをにぎりしめ、昨日京橋フィルムセンターで見た小津安二郎の映画や、「博士の奇妙な愛情」について、友達ときゃあきゃあ言いながら冗談に打ち興じた。
東京大学に行ったのは、要するに「バカと会いたくない」というきみのだいぶん尖った、社会の大半をなしている人間への敵意のせいで、しかし、問わず語らず、きみの友達の大半も同じ理由で他の大学には行きたくなかった。

いざ大学にはいると、今度は同じ高校の友人たちもだんだんに色あせてみえて、ひとりでいることが多くなった。
お茶の水から坂を降りて、神保町の町へでて、一誠堂や東京書店を巡って歩くのがきみの習慣になった。
夕方には、井の頭線に乗って家に帰る。
急行がとまらない小さな駅で降りて、
今日こそは熱力学に決着をつけてくれるわ、と考える。

大学に行ったのが就職のためなんかでなかった証拠には、きみは修士課程を終えると社会に背を向けるようにプーになってしまった。
友達が嫌らしい笑顔で「将来どうするんだい?」と訊くと、興味すらなさそうに「飢え死にするから良い」と答えた。

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(via bobobob)